「ノア約束の船」映画感想

一言で言うなら、大胆アレンジ。

ってか、聖書のノアの話を下敷きにした、別のお話。

確か、「天地創造」って映画の時には、ノアの箱舟を、

ノアの家族以外の人間は、嘲笑し馬鹿にしたという表現だったが、

約束の船では、奪還しようって画策することにしたのね。

実際の聖書には、民たちがノアに対して、

何がしか、したという記述はないんだけどねw

しかも、聖書では、ノアの三人の息子には、

一人づつに、洪水の前から妻が居たことになっているのに、

約束の船では、セムにだけ奥さんがいるということにしている。

映画では天使が出てくるが、聖書では神の子等とある。

この神の子等を天使と見るかもっと別なものと見るかは、

微妙である。

実は天使という言葉、新改訳聖書では、詩篇の138章1篇に

たった一度しか出てこない。

神からの何らかの託宣は、「主の使い」あるいは「神の使い」と

呼ばれている。イエスを生んだマリアやその夫ヨセフに現れたのは、

「主の使い」の方である。

だから、神の子が何者なのかは、定かではないが答えになる。

ただ、「神の子」は実はイスラエル人にも向けられて言われ、

次に新約聖書の中で、イエス・キリストが「神の子」だとされている。

いよいよ旧約の神の子が何者なのかさっぱり分からなくなる(^^;

映画とは関係ないが、聖書ではネフィリムという存在が出てくる。

このネフィリムは、神の子等と人間の女の間に出来た

子供たちだとする意見が結構一般的に言われているが、

聖書を良く見ると、

「彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。」

となっている。この表記から、ネフィリムが、

神の子と人間の女の間でできたと見るのはちょっと苦しくないか?

と思ってしまう。

ネフィリムが巨人という話も、創世記では語られてはおらず、

なぜか、民数記ヨベル書、第一エノク書に登場するのだが、

おかしな話である。

ネフィリム等は、ノアの洪水時に死滅しているはずだからだ。

それはとにかく、映画では天使が登場する。

民衆と一緒になって悪さをする天使がいたり、

ノアの味方に成って、ノアの箱舟を作ったり、

奪おうとする民衆と戦うという話になっているが、

どれも聖書にはそんな記述は無い。

それよりも何よりも、人類は自分たちも含めて、

全員が滅びるべきだとするノアの思考回路は、

聖書が示そうとしている思想から逸脱しすぎている。

仮にも原作の有る作品を作るなら、

その原作が目指そうとしている思想くらいは

組むべきであると思う。