誘拐を防げる決め手はない

犯人が一人の場合ならば集団で行動すれば誘拐は防げるかもしれない。しかし犯人が複数であった場合には、スクールバスのように一塊になってしまうのは危険性がより増す。スクールバスごと乗っ取ってしまえばよいからだ。

誘拐には何らかの目的がある。身代金目的・悪戯・殺人などだが、身代金目的の誘拐は事件として浮上した範囲内では成功例は一件もない。しかし保護者が警察には知らせずに犯人と直接交渉をして、人質が無事返された場合の件数は不明である。

そのため子供がいなくなったからといって直ぐに警察に通報するのは子供の命を危険に晒すのと等しい。犯人が目的が完了したら返そうという気があったとしても、報道されてしまえば発覚を防止しようと、殺すしかないと思ってしまう公算が高いためである。

最も警察に通報しても、警察はマスコミに報道管制の協力を求め一定期間報道されないことがある。今回のりんちゃん誘拐殺人事件にしても、私の記憶する限り事前報道はなかったように思う。しかし住まいのあった松戸市では翌日市民に対してのメールで行方不明情報を流しているので、どこかから話が盛れたか親が依頼したことが考えられる。

集団での登校は「共に学校まで行く」という点においてまとまりやすくなるものの、集団での下校は子供それぞれの都合のために必ずしもまとまっての下校ができるとは言えない。特に高学年になるほどその傾向が大きくなると思える。

今の時代は家でゲームをする子供は珍しくないので、その分、外で遊ぶ子供は少ないのではないかと思えるが、全ての子供がそうであるとは言えない。特に夏休みや冬休みといった長期の休みにおいては、外で遊ぶ子供が増えることが考えられる。

「知らない人に付いて行ってはいけない」と子供に言い聞かせることは大昔から行われているが、「顔見知りの人は安心」ということを意味しているわけではない。しかし子供がそう受け取るとは限らないので、現に、どの事件かは忘れてしまったが、「顔見知りの優しいお兄さん」の車に乗り、そのまま行方不明なったという事件があった。

だから誘拐する側からすれば「顔見知りになる」「仲良くなる」といった手順を踏んだり、身なりを整えて子供に不信感を持たれないようにして「道を聞く」とか、あるいは自分の子供の友達や、子供同士の集まりに保護者面をして顔出しするなどをして顔を売り、子供が自ら車に乗るように仕向けようと考えるだろう。そうすれば人通りがあっても誘拐が容易になるからだ。

今後発生する手口(既に例があるかもしれない)として警官を装うことがあるかもしれない。親が子供に対して警官をどのように教えてるかは人それぞれだろうが、もし「警官は安心」「何かあったら警察の人に」と教えているとするなら、子供はノコノコと付いていく可能性がある。

なので、多くの子供は誘拐される可能性が少なくなっても、全ての子供が誘拐されること防ぐのは無理であって、「集団登校していれば誘拐は防げたはずだ」というのは甘い考えというしかない。

■集団登校をなぜしないの?千葉の事件から考える子どもを犯罪から守る方法

(THE PAGE - 04月06日 17:13)