帰る雁いまはの心ありあけに月と花との名こそをしけれ 摂政太政大臣[藤原良経]

帰る雁いまはの心ありあけに月と花との名こそをしけれ

 摂政太政大臣[藤原良経]

 百首歌たてまつりし時

 新古今和歌集 巻第一 春歌上 62

「帰雁がもう旅立つ時分と心にきめているらしい有明で、今は月と花との名の方が惜しまれてならない。」『新日本古典文学大系 11』p.36

正治二年(1200)、[後鳥羽]院初度百首。

心ありあけ 「心あり」と「ありあけ」と掛詞。

ありあけ」は月の残る夜明けで、[旧暦で]中旬以後、ことに二十日以後をいう(袖中抄十九[しゅうちゅうしょう〔シウチユウセウ〕平安末期の歌学書。20巻。顕昭著。文治年間(1185〜1190)ごろの成立])。

名こそをしけれ 帰雁を恨むのではなく、帰雁を翻意させられないのを月花の名折れとして惜しむと逆説的に歌う。

参考「春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住むやならへる」(伊勢 古今 春上)。

「帰雁」の歌。

藤原良経(ふじわらのよしつね 1169-1206)平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。後京極良経とも。摂政関白・藤原兼実二男。和歌所寄人筆頭。

建仁二年(1203年)十二月、土御門天皇摂政となり、建仁四年(1204年)には従一位太政大臣となった。しかし元久三年(1206年)三月七日深夜に頓死。享年三十八。

新古今集仮名序執筆者。新古今集入集七十九首、西行慈円に次ぎ第三位。

千載集初出。勅撰入集三百二十首。

隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合 再撰本』では在原業平と番えられている。

小倉百人一首 91 「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかもねん」

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