西郷隆盛異聞天使と悪魔

有道の英傑が存在するところには必ず強力な悪役が発生する。英傑のもとにこの三次元の世にある光美のイデアに属するものの諸が集まる一方で、それに対する負のイデアもまた集積し闇を形成するのだ。英雄に集まる光が強く輝けば輝くほど、それに対するものもまた一層おどろおどろしく濁り醜悪さを増していくのだ。

西郷隆盛は、時代や文化的な差異を越えた普遍的な君子であり、有史来最大の人物である。であれば、それに対する悪役も有史以来最低の悪人であろう。悪人というよりは、人間の闇という闇がヘドロの様に集積した汚物の様なものが人の形をしていると言った方がよいかもしれない。

この点、遣韓論から西南戦争の流れの中で、従来、大久保利通こそがこの西郷隆盛と対立するものだと考えられていた。幼なじみであった二人が、共に維新を志し、その後反目し、悲劇的な対立を迎えるというストーリーは確かに劇的で歴史作家にとっては魅力的ではある。

しかし、大久保という男は人格的な欠点は多分にあるものの、西郷隆盛の相反する項を為すものとしては、その悪性において不十分である。大久保は西郷隆盛のそばにいすぎたのだ。近くにいたことで西郷の豊潤なる慈悲の波動に身をさらし、偏屈さや思春期の闇というその後の悪人を醸成するのに必要不可欠なものが溶かされてしまっているのだ。

西郷VS大久保。従来のいわゆる征韓論とやらで言われているこの構図がいきなり最初から間違っている。本サイトでは、皆様の納得できる形で情報を提示し、この征韓論というくだらない劇の舞台裏を提示していきたいと思う。